生麦事件とは、幕末にあたる1862年9月14日に起こった事件です。

生麦事件(なまむぎじけん)は、幕末文久2年8月21日1862年9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。

尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから薩英戦争(文久3年7月)が起こった。事件の石碑は、京急本線生麦駅近くに残っている[1]

wikiより

現在の国道15号線より更に少し海側に、当時の東海道があります。

地元の人はよく、国道と旧道と呼び分けています。

タクシーの運転手さんなども、鶴見駅から乗車して生麦方面へ行って欲しいと伝えると、「国道にしますか?旧道にしますか?」などと聞いてくれたりします。

その旧道に生麦事件発生現場はあります。

生麦事件の碑と発生現場は別の場所にあります。

当時東海道だったその旧道の生麦4丁目付近で、薩摩藩の事実上の最高権力者だった島津久光の行列に乱入した、騎馬にまたがったイギリス人を供回りの藩士が殺傷し、薩英戦争の引き金となってしまいました。

行列が生麦村に差しかかった折り、騎馬のイギリス人と行き会った。横浜でアメリカ人経営の商店に勤めていたウッドソープ・チャールズ・クラーク、横浜在住の生糸商人ウィリアム・マーシャル、マーシャルの従姉妹で香港在住イギリス商人の妻であり、横浜へ観光に来ていたマーガレット・ボロデール夫人、そして、上海で長年商売をしていて、やはり見物のため来日していたチャールズ・レノックス・リチャードソンである。4人はこの日、東海道で乗馬を楽しんでいたとあるが、観光目的で川崎大師に向かっていたとの説もある。

wikiより
生麦事件の詳細は知らなくても、名前には聞き覚えがあるかも知れませんね。
この、生麦事件発生現場案内板は普通のおうち(民家)の塀に設置してあるのです。

生麦事件発生現場

ここで発生した事件ですが、斬られた英国人のうちの一人、チャールズ・リチャードソンは横浜方面に700メートルほど逃走しました。

しかし、力尽きて落馬し、追ってきた薩摩藩士に、もう助からないだろうとの判断で介錯された(とどめを刺された)と言われています。

その絶滅した場所には生麦事件の碑があります。

命を失ったのはリチャードソン一人ですが、マーシャルとクラークも深手を負い、血を流しながらも馬を飛ばし、神奈川にある当時、アメリカ領事館として使われていた本覚寺へ駆け込んで助けを求め、ヘボン博士の手当を受けました。

そのヘボン博士こそ、ローマ字のヘボン式で有名な、ヘボン博士です。

ヘボン博士はヘップバーン博士なのですが、日本人が聞き取りやすいようにか、呼びやすい為にか、ヘボンと名乗っていました。

また、ドラマや漫画の仁-JINでは、主人公の南方仁が手術したことになっている歌舞伎役者で女形の三世沢村田之助の脱疽の手術を 行ったのもヘボン博士です。

脚を切断して1868年には義足をつけて舞台に出られるようになったので,錦絵や瓦版にも印刷されて、たいそう評判と なりました。

 

生麦事件発生現場へ京急生麦駅から徒歩で行く場合

徒歩5~6分です

生麦駅東口で降りて、駅に背を向けて国道15号線に出ます。

国道15号線を海側に渡ります。

大黒町入口という大きな交差点で渡るとわかり易いでしょう。

渡ったら、鶴見川崎方面に歩き、大黒町入口から一つ目の、生麦小学校の交差点に来たら右折します。

左に郵便局を見ながら進み、前方左側に小学校が見えますのでそのまま直進します。

突き当りを左に曲がるとすぐに見つかります。

普通のお家の壁にあるので見逃しませんように。